「痛むこと」をやめる技術を身につける
Aug 27, 2021「痛み」とは身体の痛みだけではないのか!
――これが、アレクサンダー・テクニークのレッスンを受けて最初に感じたことでした。
自分の悪い点ばかりを強調して感じてしまうこと、本番に限って思うように弾けなかったと感じてしまうこと、演奏機会の減少や技術の伸び悩みに対して「これからどうなるのか」という不安に苛まれ、明るい未来どころか取るべき手段さえ考えられなくなること、これもすべてある種の「痛み」だったし、私は「痛むような心身の使い方」をしていたのだ、と感じました。
そして、これが一番大事なことだと思うのですが、私は「痛まないように心身を使う」力をもともと持っていて、その使い方を知らなかっただけだったのだ、ということ。そのことを、アレクサンダー・テクニークのレッスンは思い出させてくれました。
とはいえ、私が最初にアレクサンダー・テクニークと出会ったのは、物理的な身体の痛みがきっかけでした。
背中の凝りを強く感じるようになり、背中から肩が張り、腕を使うときに痛みを感じる――演奏家としては致命的です。
演奏に必要な姿勢が取れない、取り続けられない。思うように練習もできない。病院に行っても年齢的なものだからしばらく安静にするしかないと言われるばかりですが、安静にしていては練習も演奏もできません。鍼や整体で治療をして一時的に痛みを軽減させることができても、まったく元通りとはいかないし、やがて痛みはぶり返してきます。
痛みを取る方法を探していた時に「痛みのない身体の使い方へと導く」技術として紹介されたのが、アレクサンダー・テクニークでした。
痛みの原因は「よりよく演奏しよう」だった
レッスンに通うようになり、私はまず、自分が常に不要に身体を緊張させていたことに気づきました。
それは演奏の際の楽器の持ち方に癖があるとかそういうことだけではありません。一見正しい持ち方をしているように見えても、例えば“よりよく演奏しよう”と身構える時に、どこか動かさなくてもいいところに過剰に力が入っている――それが身体にとってのブレーキになり、その状態で身体を使うことは、ブレーキとアクセルを同時に踏むようなもので、身体にとっては非常な負担になっていたのです。
繊細な動きをするのにブレーキを使う必要はありません。繊細にアクセルを使えばよいだけなのです。ブレーキがかかっていれば、そのブレーキを相殺するために、より動くための力が必要になり、疲れます。それが私の痛みの原因のひとつでした。
もうひとつの原因――というよりも、より根本的な原因は、精神的な緊張でした。
よりよい表現をしよう、より向上しようというものから、この箇所は難しいから間違えないようにしようというものまで。そして演奏を終えて自分の出来を振り返り反省するときにも緊張は生じます。
ああ、ここがうまくいかなかった、ここができなかった、ということを受け入れる時に、受け入れることそのものが辛くなってしまう。自信をなくしてしまうのです。
できなかったところを認め、練習することでしか向上しないのに、「できていない」を認めるときに「これでは自分はダメだ」という思いがついてきてしまうのです。
その種の緊張や悲哀感は身体を緊張させます。そしてそれが積み重なって、物理的な身体の痛みにつながるのです。
「アレクサンダー・テクニーク」という技術
肉体的な緊張と精神的な緊張のどちらも身体を傷めます。もちろん精神的にも苦しいです。その“緊張”と“緊張による痛み”という現象にアプローチするのがアレクサンダー・テクニークだったのです。
元々、俳優であったF.M.アレクサンダー氏が、自身の「本番時に限って声が出なくなる」というトラブルの根本原因を探る過程で発見した「無意識のうちに生じている緊張」を取り去る技術です。テクニークなので、文字通り技術なのです。
精神的な部分や呼吸にもアプローチするので、宗教的なものや瞑想などとも近いものかと最初は思いましたが、これは第一に技術なのです。
「無意識のうちにしている、癖になってしまった緊張」を取るのですから、「さあ、余分な力を抜いて」といわれてもどうにもならなくて困っている人にも、困った状態からの解決の道をつけてくれる、そういう技術です。
自信が持てないのだ、という人にも同様です。メンタルはフィジカルに大いに影響されます。大地をゆったりと踏みしめリラックスしどのようにも動き出せる(余分な緊張ではなく)活力のみなぎる姿勢を取りながら、自信をなくしてしょぼくれることができる人はあまりいないのではないでしょうか。そのようなリラックスした力強い身体の在りようを自分で作れるようになる技術である――個人的な部分になりますが、そこも私は気に入っています。
レッスンを通じて滞りのない身体に
アレクサンダー・テクニークのレッスンを受け続けるうちに、私は随分と自由になりました。
痛みからももちろんですが、評価を恐れる気持ちからも自由になりました。もちろん評価をきちんと受け取ることは必要です。けれどもその時に“落ち込み、緊張する”必要はありません。次の演奏までの練習の計画や、次に演奏する曲を何にすればより良い表現ができるのかというヒントを得ればいいだけなのです。
身体の使い方を知り、癖として勝手に行ってしまっていた、自分を不自由にする緊張をやめる技術を身につけることで、私はより良い演奏表現を行なえるようになった(そして痛みに苦しむこともなくなった)と思っています。
この“自由に身体を使い、演奏表現を生み出すために、不自由な身体の使い方をやめてみる”技術はもっと多くの表現者――特に、楽器演奏家の皆さんに知られるべきことだと思います。
身体がダイレクトに表現手段であるダンサーや歌手と違い、私たちは“身体を使って演奏している”にもかかわらず、身体全体――例えば、姿勢――への関心が、これまであまりにも小さかったのではないでしょうか。
例えば繊細な表現をしようとするあまり、鍵盤の上にかがみこむように身体を丸め、背中をこわばらせて息を詰めたり、あるいは個性的な表現を目指し、望むイメージの音が出ることを追及して、手首を無理に緊張させていたり…そんなことを私もしてきましたし、実際に(そんな無理だとは思わずに)している人は少なくないように思います。
一方で、表現は指の運動だけから生まれるものではありません。指は身体の一部であることはもちろん当然なのですが、呼吸や、呼吸を生み出す身体の在りよう全体、例えば姿勢、あるいは身体のどこかにある緊張…そんなものすべてから影響を受けながら“楽器演奏に直接必要な身体の部分”が動き、表現を生み出すのです。
もっと“良い”演奏を生み出すために必要なのは、長時間の練習ではなく、奏法の工夫でもなく、身体がより“滞りのない”状態であることかもしれません。そしてこの“滞りのない身体の状態”を示してくれたのがアレクサンダー・テクニークだったのです。
演奏活動を続けるために必要な技術
私は「この技術はもっと多くの演奏家に知られ、実践されるべきだ」と思うので敢えてこんなことを言いますが――「確かに体に力は入れているけれど、これが自分の、自分らしい表現の基礎なのだから、方向性は変えたくない」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。
――本当にそうでしょうか?
その奏法は9の力でブレーキを踏み10の力でアクセルを踏むことでしか生まれないのでしょうか?
1の力でアクセルを踏み、それを丁寧にコントロールしていくことでは生まれ得ないのでしょうか?
もし9の力で踏んだブレーキがそれなりに演奏に重要な役割を果たしているとしても、それを続けているといずれ身体を傷めます。緊張する癖をやめ、1の力のアクセルと丁寧なコントロールでその演奏を目指してみるのも長く演奏活動を続けるのには必要なことではないかと思います。
そして、アレクサンダー・テクニークは“癖をやめる技術”です。癖を取ってしまう治療ではありませんから、技術を一度身に着けてみて、いや、やはりこの楽な演奏は私の求めるものではない、私は身体と引き換えにあの音を出したいのだ、という人は別の演奏方法を選ぶこともできます。
だからこそ、生徒さんをお持ちの方にはこの技術を知って、身に着けて、教えられるようになっていただきたいな、と、私は思います。
アレクサンダー・テクニークは欧米では多くの音楽の専門課程に取り入れられているプログラムですが、日本での知名度は、特に演奏家の間ではそんなに高くはありません。これは演奏家自身にとって損失であるように思います。
“教える”立場の方にはぜひともこの技術を発信し、次世代の音楽家と音楽愛好家を育てていっていただきたいのです。
プロフェッショナルを目指すのであれば技術があることは必須ですし、趣味として演奏したい人に教えているのなら――痛みや苦しみを感じることなく演奏を楽しめることは、より重要になるのではないでしょうか。
私ひとりが痛みから解放されても私だけの話になってしまいます。
教える立場の方がこの技術の重要性に気づいてくださることこそ重要だと、私は思っています。
「アレクサンダー・テクニーク」は全世界で取り入れられている脱力&緊張解消メソッドです。
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